-DOLL-


某月某日 午前0時48分
トリニティ研究所・開発室


 かたかた、と。

 部屋を冷やすファンの音が、静けさゆえに大きく響く。
 精密機器の詰まった薄暗い室内に、不規則に響くのはキータイプ音。
 ディスプレイから発する光を受けて、一人の男が一心不乱にキーを叩いている。

 時に軽快に、時に立ち止まって…
 そうして長い時間絶え間なく続いていた軽い音がふと、途切れた。

 代わって、椅子の軋む音。
 軽く伸びをした影が、疲れ切った溜息をついた。

「思いうかばない、なぁ。」

 開発は最終段階へ来ていた。
 あと一行、いや…数文字の言葉で完了する、筈なのだが…。

 画面の前で頭を抱え込む。
 単純な作業。どうということのない仕上げなのだ。

 「あいうえお」でも、「いろは」でも。
 とにかく発声機能が確認出来れば良いのだから。

(――だけど、それじゃ面白くないじゃないか。)

 いくら考えても、適切な言葉が見つからない。
 それどころか、考えれば考えるほど深みに嵌って行っている気がする。

 椅子の背に身体を預け、彼は天井を仰いで溜息をつく。

「…駄目だ。上がろう…」

 呟いて立ち上がり、来ていた白衣を脱いで椅子の背へ。
 画面の片隅に表示される時刻に目を落とすと、零時をとうに回っていた。

 電車はもう無い。
 タクシーを使えば帰れるけれど、当然そんな金は無い。
 そもそも、今から帰っても自宅じゃ数時間しか眠れない。

 仕方ないか、と呟いて、彼は手を伸ばしてコンピュータの電源を落とした。
 絶え間なく続いていたファンの音がぴたりと止み、部屋は新たな静寂に包まれる。

(仮眠室しかないか…)

 部屋の機器を一通り確認して、彼はそのまま部屋を出ていった。



同日 午前0時58分
トリニティ研究所・廊下


 その計画は、δプロジェクトと呼ばれていた。
 他でもない自分が提唱した、自立思考型アンドロイドの開発。

 けれど、覚悟していたとは言え想像以上にプロジェクトは難航していて。
 自宅に帰らず作業を続けるのも今日が初めてではない。

 それでも開発を続けるのは、勿論責任者としての立場もあったけれど、彼自身が完成を急いている事も あった。
 このプロジェクトは、かねてからの夢でもあった。

(もっと早く切り上げても構わなかったんだけど。
 作業に没頭しすぎて帰れなくなっちゃったんだよね…)

 内心の呟きは、他の開発員達にはヒミツにしておこう、などと思いつつ。
 ふと思い立って足を止める。

 時刻は一時。
 研究所には他に誰も居ない。
 そして自分はプロジェクトの責任者だ。

(確認しておくギム、ってのも、存在するよね?)

 誰へとも知れぬ言い訳を胸に、彼は目的地をコンピュータールームへと変えた。



同日 午前1時04分
トリニティ研究所・コンピュータールーム


 厳重にロックされた扉を何枚も通り過ぎ、目的地に辿り着く。
 静まりかえった室内。
 何台かのコンピュータが放つLEDランプの光が、辛うじて部屋が暗黒に閉ざされるのを妨げていた。

「――Light.」

 発した声に反応して、音もなく部屋が明るくなる。
 重い硝子の向こう、銅線とケーブルが何本も交錯する部屋に、機械仕掛けの人形が横たわっていた。
 物理的な接続を確認するつもりでいたのだが、何故か急に気が引けて、彼はそのまま凝っと機械人形を見つめる。

 今のところ外見だけは精巧に、人間の女性を模して造られてある。
 中身は…心は、まだ無い。
 白い肌は触れば冷たく、命のない身体は人の何十倍も重い。
 何より身体の節々に接続されているケーブルが、それが人ならざるものである事を示している。

 けれど。

(眠ってるみたいだな…)

 ふと、そう感じた。
 刹那。

「……ぁ」

 目が醒めた思いがした。
 今日半日、延々と悩んでいたのに。

(目覚めて最初に言う事なんて…決まってるのに。)

 晴れ晴れとした笑みを浮かべ、彼はくるりと踵を返す。
 たった数文字の言葉を、仕上げに打ち込むために。

――『おはよう』で、いいじゃないか。

 かつん、と…
 鈍い銀の床に、軽い足音を響かせて。


end..


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