暁光 -The independent doll-
SaGa Frontier


 針の城…陰鬱とした黄昏の漂う、妖魔のリージョン…
 あの少女が来てから、一体どれくらい経ったのだろう。何ヶ月とも何年ともとれぬ…
 ただ漠然と確信するのは…何かが変わろうとしている。それだけだった。
 目の前に少女を見つけ、彼はほんの刹那、歩みを止める。この城に不慣れな彼女を慮って、妖魔特有の影のない動きから人間のそれへと歩みを変化させたのだ。
 足音をさせつつ近づくと、欄干に身をもたせかけ、物憂げな表情で空を見上げていた少女が振り返る。

「…こんばんは、アセルス様。」

 軽く会釈をして通り過ぎようとする。…刹那。

「ねぇ」
「…はい?」
「この世界に星はないの?」

 唐突な質問に、彼は面食らった。
 目の前の少女は、そんな彼の思惑を知らぬげに真直ぐな視線で見つめてくる。
 半妖であるところを示す、翡翠色の髪。瞳の色も…同じ。

「針の城から、星は見えないの?」

 繰り返される質問。
 表面では冷静さを保ちながら、淡い緑色の髪と瞳を持つ妖艶な美貌の妖魔は、内心ひどく焦っていた。
 どう答えればいいのだろう。一体どう答えれば彼女は…
 彼の主、オルロワージュの血を受けた娘は納得する?
 目覚めて日も浅いせいか、彼女には色々な事を尋ねられる。だが、こんな質問は初めてだった。

「…ラスタバン?」

 何故星がないか、何のための闇夜か…そんなことは分かっているはずだった。だがその答えに、彼女は納得するだろうか。

「…星は、必要ないのです」
「じゃあ、月は?」

 自分の言葉を予測していたような応え。素早い返答に、対応が遅れる。

「月も…星も。必要ないのです、アセルス様。私達はただ、主上のみを見ていれば良いのですから。」
「ふゥン…」

 呟いて彼女は背を向けた。そのまま、紺色に塗り潰された夜空を見上げる。

「白薔薇と、同じことを言うんだね。」
「誰に尋いても同じでしょう」
「イルドゥンは」

 間髪入れず、彼女は応えを返した。聞き慣れた朋友の名に、ラスタバンは怪訝そうに形の良い眉を顰めた。

「イルドゥンは、答えてくれなかったよ。」
「…そうですか。」

 我ながら冷たい声だと思った。けれど、彼女はそれに構わず言葉を続ける。

「会うなり、言う言葉がそれか…って。ねえ…ラスタバン」

 不意に振り返ったアセルスと視線が合い、彼はらしくなく当惑した。そんな彼に気付かず、彼女はどこか寂しげな表情で言葉を継ぐ。

「私は…私も、あいつを見ていなければならないのかな? 寵姫や、おまえたちのように。」
「そんなことはありません。」

 知らず、言葉に熱がこもる。
 それでは、困るのだ。アセルス…この娘が、他の妖魔と同じようにオルロワージュに従順であっては。

「主上や周囲がどうあろうと、あなたはあなたです。これまでの習慣などに従わなくても良い…それに、それは怠惰と腐敗を招くだけです。」
「…ひどい言いようだ。」

 ほんの少し眉を顰め、アセルスは苦笑を浮かべる。けれど、自分を見つめるラスタバンの視線に気付いて、すぐにその表情を改めた。

「 …その目。」
「……?」
「また、その目で私を見るんだね…」

 表情を曇らせた彼女を、ラスタバンは気遣わしげに見た。ほんの時折見せる哀しげな表情。それが今は、自分の言葉が、視線が彼女を…?

「期待してるんでしょ? ファシナトゥールが変わることを…私がここを変えることを。」
「……アセルス様」

 微かに問いかけられた言葉に、答えは返せるはずがない。何と言えば良いか分からず、結局名を呼ぶしか出来なかった。
 付せ目がちに自分から目をそらしたラスタバンを一瞥し、アセルスは再び彼に背を向ける。

「いいよ。…もう、行って。」

 呟くように告げ、月も星もない空を見上げるアセルスに、彼はただ黙って踵を返した。
 彼女が針の城の主になれば、間違いなくファシナトゥールは変わるだろう…そんな思いを抱きながら。




 回廊に出ると、暗く湿った沈黙が辺りを支配していた。
 相変わらずの薔薇の紅い影。織り成される黒と紅のコントラストが、異様なほど艶かしい雰囲気を醸し出している。

(…悪趣味な)

 内心でのみそう呟き、ラスタバンは歩き出す。
 別に歩く必要は取り立ててないのだが、何となくそうしたい気分だったのだ。それに、目指す場所はすぐ近くなのだし…
 カツン…と、半透明に灯の明かりを反射する床に響く乾いた音を、彼は無意識に娯しんだ。

(月…星…最後に見たのは…いつだっただろう)

 ふと、そんな疑問が湧いた。遥か彼方に霞んだ記憶。たとえ思い出しても味気ない、夜空の情景…。
 そう思ってしまうのは、自分が妖魔であり、オルロワージュに仕えているからなのだろう。

(だからこそ、変革が必要…か)

 自分で出した結論を反芻する。間違ってはいないと…そう確信するために。

(それにしても…)

 彼の友、イルドゥンはアセルスの問いに答えなかったという。
 何故…それを問い正さなくては。

「イルドゥン…そこにいたのか。」

 あてがわれた一室で休んでいる妖魔を認め、彼はその部屋に足を踏み入れる。
 扉など、妖魔にとっては何の役にもたたない。それゆえかこの城には一つの扉もなかった。
 不機嫌そうに自分を見上げる妖魔に穏やかな微笑みを返し、ラスタバンはイルドゥンが座っている椅子のそばに歩み寄った。

「あいつに何か言われたのか。」

 上目遣いにラスタバンを見上げ、開口一番に彼はそう問いかけた。

「何故そう思った?」
「何か尋きたそうな顔をしている。」

 無感情にそう答え、イルドゥンはついと目をそらす。とってつけたようなその反応に、ラスタバンは不審そうに眉を顰めたが、気にしないように思い直した。アセルスとの事を尋ねるつもりでここに来たのだから、イルドゥンのこの問いは、ある意味都合が良い。

「星と…月は何故ないのかと尋ねられた。イルドゥン…お前にも尋ねたと言っていたが」
「ああ、そのことか。」

 ラスタバンの言葉を遮り、彼は殊更興味無さそうに言葉を返した。

「くだらん事を聞くなと答えてやったが…それがどうかしたのか?」
「………何故、答えなかったと尋きにきたのだが…」

 軽く息を吐いて、ラスタバンはイルドゥンの目を覗き込む。

「何か理由でも?」

 真直ぐなラスタバンの視線に、イルドゥンは視線を伏せた。

「別に…」

 呟いたイルドゥンの顎をすくい上げるように片手で掴み、ラスタバンは鋭い視線で彼を見据える。

「そんな事でアセルス様の教育ができると思っているのか、イルドゥン? あの方に代わって針の城の主となられる方かもしれないというのに」

 言いつのろうとするラスタバンの手を払い除け、イルドゥンは無造作に立ち上がった。ばさりと垂れた前髪を欝陶しそうにかきあげ、壁に立てかけてあった剣に手を伸ばす。

「あいつが針の城の主だと? まだそんな夢見事を言っているのか。」
「しかし、イルドゥン」
「甘いぞ、ラスタバン。あいつにそんな事が出来るわけがないだろう。半人半妖の存在など…それにあれ自身、あまりにも弱すぎる。」

 吐き捨てるように言うと、彼は手に取った剣を腰に帯びた。それと見て、ラスタバンは怪訝そうに口を開く。

「どこへ行く?」

 問いかけたラスタバンに一瞬だけ目を走らせ、イルドゥンはそれと分からないほど僅かに目を伏せた。

「あいつの所だ。」
「何の為に?」

 鋭く切り返された問い掛け。反射的に浮いた答えを告げるべきか数瞬迷ったが、イルドゥンは慎重に言葉を選びつつも答えを返した。

「まだ甘ったれた事を言っているようだからな…性根を叩き直してやる。」

 そう言って背を向けたイルドゥンに歩み寄り、ラスタバンは静かに口を開く。

「…私のすることが間違っているとでも言うのか? アセルス様を妖魔の君と成し得る事が?」
「言葉が過ぎるぞ、ラスタバン。」

 視線を合わせようともせずに、イルドゥンは彼の言葉を遮った。

「勘違いするな。…あいつの勝手にやらせるだけだ。それであいつがどうなろうと知ったことじゃない。」

 言い捨ててイルドゥンは姿を消した。彼がいた場所を睨むように見、ラスタバンは堅く拳を握りしめる。

「イルドゥン…」

 囁くような呟きが、昏い部屋に微かにこだました。




「イルドゥン」

 唐突に背後にあらわれた気配に、彼女は振りかえるでもなくその名を呼んだ。

「…多分、来ると思ってた」

 意外そうに片眉を上げ、深い緑の髪の妖魔は黙ったままその側に歩み寄った。先程と変わらず空を見上げたまま、アセルスは静かに言葉を継ぐ。

「今度は答えてくれる? 何故星がないのかって。」
「ラスタバンに尋いただろう。」
「うん…でも、それはラスタバンの答えだから」

 空を見上げていた視線を、彼女はゆっくりとイルドゥンに移した。
 澄んだ、けれどどこか哀しげな翡翠の瞳。何も言えないままイルドゥンはそれから僅かに視線をそらす。

「…私は、イルドゥンの答えが聞きたい。」

 いつになく真剣な眼差しに戸惑い、イルドゥンは軽く息を吐いて夜空を見上げた。

「この城にいる妖魔の答えは…皆、同じだ。」

 感情を押し殺した声。何かが違うと…自分の中で誰かが言っている声を聞いた気がしたが、彼はそれを無理に押し込めた。

「……そう」

 ぽつん、と呟いて、アセルスは俯いた。そこにありありと落胆の色を見て、イルドゥンは些かむっとする。
 この娘は自分に何を期待していたのだろうか。そう考えてから、彼はここにきた目的を思い出した。
 が、それを言おうと声をかける前に、アセルスが俯いたまま口を開いていた。

「それで…何しにきたの?」

 ひどく冷めた声に内心少々驚きつつ、イルドゥンは用意していた答えを告げた。

「…訓練、ね。いいけど、イルドゥンが?」

 自分の腰に帯びた剣に手を伸ばし、アセルスは意外そうにイルドゥンを見上げた。
 戦闘訓練と言うが、イルドゥンがアセルスの相手をした事はこれまで一度もない。大抵は召喚された魔物を相手に戦っていたのに…今日は、彼自身が相手をするとでも言うのだろうか。
 アセルスの視線に気付いて、イルドゥンは不機嫌そうに眉を顰めた。

「悪いか。」

 無感情に突き返された言葉に、アセルスは苦笑を浮かべる。こういった事は、彼独特の照れ隠しなのだと…最近、漸く分かってきたところなのだ。

「いいよ…やろう。」

 ゆっくりと剣を抜き、彼女は数歩下がって間合いを取った。
 慣れない手つき。構えすらも弱々しくて、イルドゥンは内心深々と溜息を吐いた。
 だがそれでも、自分から言い出したことだと思い直し、彼もまた剣を構える。

「…来い」

 相変わらず低く呟いた声。けれど、それに続いた言葉に、自分でも驚愕した。

「お前の躊躇いごと…身体を叩き切ってやる」
「イルドゥン?」

 意外そうにあげられた声に舌打ちする。何故、自分はこんな事を…

「行くぞ!」

 床を蹴った彼の長い髪が空に舞う。ぶつかりあう金属の鈍い閃きが、針の城を…ファシナトゥールを包む暗闇に静かに融け込んでいった。








 目の前を遮る重い金属の門を、彼女はゆっくりと見上げた。

「懐かしいね」

 呟いてついと背後を振り返る。
 共に旅を続けてきた仲間たち。出会いと別れとを繰り返して果てに巡り合った友人。
 けれどこの懐かしさを理解できるのは、ただの一人だった。

「…イルドゥン」

 名を呼ばれて、彼はアセルスと視線を合わせた。そらす事は…しない。

「懐かしいよね。そんなに昔の事でもないのに。」
「ああ…そうだな」

 針の城にいた頃には決してなかった、穏やかな声。アセルスと旅をして、一番変わったのはおそらく彼だろう。

「月も星も無いままだ。…ここは変わらない。」
「変えにきたんだよ、私達が。」

 微笑んでアセルスはイルドゥンを見上げた。
 瞳の寂しげな色は変わらないが、そこには堅い決意が見える 迷いも、不安も断ち切った意志。仲間に向ける信頼と、絆。

「…ねえ、」

 つと視線をそらし、アセルスは再び門を見上げた。手を伸ばして冷たい金属の感触を感じながら言葉を続ける

「今だったらどう答える? 星と月が無い理由。」
「…そうだな」

 数歩アセルスに歩み寄って、イルドゥンは同じように門を見上げた。

「この城に住む奴らが見ようとしないから…違うか?」

 フッと微笑んで自分を見たイルドゥンに、アセルスは微笑みを返す。

「違っててもいいよ。それがイルドゥンの答えなら。」

 そう言って門から手を離し、アセルスはすっと表情を改めた

「…行こう、イルドゥン、皆。…私の道を進むために。」

 静かに告げられた言葉に、イルドゥンは頷いた。
 ファシナトゥールは変わるだろう。だが、それが何だというのだろう。自分の生きる道を、アセルスは自分で切り開いたに過ぎないのだ。









    

私はアセルス…道を開けよ!











To The Last Battle...




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