Silent Memory
Blaze & Blade


昔語りをしよう

忘れ去られた英雄のレジェンド

人知れず存在した冒険者たちの話

街から街へ旅を続ける吟遊詩人のサガ

どこにでもあるような伝説じゃない

世界にたった一つだけ 遠い昔の子守歌








 気付がつくと、酒場には彼がいた。
 いつも同じ場所で、何をするでもなくただぼんやりと座っている。
 他の冒険者たちは知っているのか、いないのか…
 見かけは狩猟者そのものだった。
 翠緑の髪と瞳、何故か人を寄せ付けぬその佇まい。存在は空にかき消えてしいそうなのに、その雰囲気が人を魅了した。
 それでいて、彼に声をかけるものは一人としていなかった。
 それは日も暮れかけたある冬のこと──



 その日、酒場はいつものように冒険者たちで賑わっていた。
 これからクエストに出発する者。クエストから帰ってきたばかりの者。ただ暇つぶしにきている者や、情報集めにきている者など様々である。無論、例の翠緑の髪の狩猟者も、彼らに混じっていつもの場所にいた。
 たった今酒場に入ってきた一組の冒険者も、彼らの一部と同じようにクエストを終えて戻ってきたに相違ないだろう。
 碧青の髪のエルフを先頭に、フェアリー、盗賊、それに僧侶疲れているのか僧侶は早々に引き上げてしまったが。
 慣れた様子で手近な席につき、彼らはクエスト中に手に入れたらしい品々を前に談笑している。
 …心地よい騒めきと温かさが、夕暮れの酒場に満ちていた。
 ───そんな折だった。
 扉を破らんばかりにして、翡翠色の髪をしたエルフが息急き切って駆け込んできたのは。

 「──誰か…!」

 酒場にいる誰もが、彼に注目した。

 「手を貸して下さい! 仲間が──」

 見れば彼が身につけているものには鮮やかな血糊が付していて、エルフ特有の白い肌にも幾筋かの深い傷跡が刻まれている。
 荒い息をし、今にも倒れそうなその様子から察し得るように、何か尋常ならざる事が起こったに違いない。
 酒場は瞬時にして騒然とした。
 エルフが最後まで言い終えるのを待たず、マスターの指示で僧侶と屈強そうな戦士数人が外へと飛び出して行く。
 それと見て安心したのか、エルフは床の上に崩れ落ちた。

 「お…っ、おい! 大丈夫かよ!」

 慌てて彼に駆け寄り、どうにか助け起こして椅子に座らせたのは、先程クエストから帰ってきたばかりの盗賊だった。

 「一体、何があったんだよ!?」

 連れのフェアリーが持ってきた水を差出しながら問い掛ける エルフは傷の残る両手でグラスを包むようにして受け取り、一口それを飲み込んでから震える唇を開いた。

 「白銀の谷に…竜が、いたんです──」
 「ドラゴンだと? どういうことだ、カルマ。」

 不意に頭上から振ってきた声に驚いて顔を上げる。
 滑らかな碧青の髪をしたエルフ──無論盗賊やフェアリーと同じパーティである──が、とこか高圧的な視線で彼を見下ろしていた。

 「ワイバーンやワームレットの間違いでは──」
 「…シヴィラ」
 「いや、まぁ…お前の言うことだ、まさか嘘ではないだろうが。」

 どうやらこの二人のエルフは知り合いらしい。シヴィラと呼ばれたエルフの青年は、自分を縋るように見つめてくる相手の視線に、決まり悪げに言葉尻を濁した。

 「本当にドラゴンでした…雪のように白い──」
 「ホワイト・ドラゴンと言うわけか。…フン、生意気な。」

 相変わらずの調子で言葉を返しつつ、シヴィラはカルマから視線をそらして酒場を見回した。
 戦士たちが出て行ったせいか、大分テーブルは空いてきている。それでも残っている者はいるが、その大半は単なる野次馬根性なのだろう。

 「ドラゴンって、火竜の山にいるんじゃなかったっけ?」
 「バカ、あれは赤竜だろ」

 傍らの仲間二人の会話が通りすぎる。
 何の気もなしに視線を投げたその先に、あの翠緑の髪の狩猟者の姿があった。
 こちらに興味を示すでもなくただぼんやりとしている様子に思わず意識が吸い寄せられる。瞭らかに、他の冒険者たちとは雰囲気が異なっていた。

 (…かなりの手練れ──だな)

 そう、思った刹那。
 不意に、彼が視線を上げた。その視線はまるで予想していたかのように、真っすぐにシヴィラの瞳を射ていた。

 (何──…)

 睨んでいるわけでも、睨まれているわけでもない。けれど、耐えようのない重圧感を感じた。

 (…気に食わんヤツだ)

 些かばかりの不快感を感じて、シヴィラはすっと彼から視線を外した。
 すぐに、不安げなカルマの表情が目に入る。

 「…どうか、したのですか?」
 「いや、別に。」

 適当に誤魔化してから、やはり気になって視線を戻してみた…が、目に入るはずの人影は既に無かった。

 (消えた…!? ──バカな)

 唖然とするシヴィラを知らぬげに、カルマは深々と息を吐き出した。身体に残る傷跡が痛々しい。

 「…シヴィラ。私としては一刻も早くその竜を倒しておいたほうが良いと思うのですが──」
 「ええっ、ムリだよぉ!」

 カルマの言葉に、シヴィラではなくフェアリーの少年が反応する。

 「今だってそんな傷だらけでさ、倒すなんて絶対、ムリ!」
 「ですから、あなたがたの力を借りたいのです。」

 決然とした声は、だが、シヴィラの耳には届いていなかった。
 じっと誰も座っていない席を睨んでいる彼に、カルマはふと不審感を覚えて手を延ばした。途端、ドラゴンの爪に裂かれた傷口かずきりと痛む。

 「…痛っ──」

 思わず上げた声に、漸くシヴィラが意識を戻す。けれど、その表情はいつになく険しかった。

 「…シヴィラ?」

 いつもと違う様子に、恐る恐る声をかける。返ってきた言葉は、予想もしていないものだった。

 「そのドラゴン…私が倒してやる。」
 「は…っ?」
 「セテネ、お前たちはここにいろ。いいな。」

 一方的にそう宣言すると、シヴィラはくるりと背を向けて酒場を出て行った。
 その場の誰かが、止める間すらなかった。

 「…何なんだよ、あいつはっ!」

 盗賊──どうやらセテネという名前らしい──が、不機嫌そうに椅子を蹴る。傍らには、むくれた顔のファリーの少年…。
 何となく世話を押しつけられた気がして、カルマは我知らず深々と溜息を吐いていた。



 酒場を飛び出したシヴィラは、真っすぐに白銀の谷を目指していた。
 思わず衝動的に出てきてしまったが…後悔はしていない。何より、一瞬のうちに姿を消したあの狩猟者のことが気になっていた。
 実を言うと、カルマが話している最中、扉の開閉するような音を耳にしたのだ。エルフの中でも聴覚の鋭い者しか聞き取れぬほどのものだったが。
 彼は、ドラゴンを倒しに出掛けたに違いない。
 それがシヴィラの出した結論だった。それはそれで良い。しかし、何故人の目を避けるようにして旅立つ必要があるのだ。いや…それより気になっているのは、あの視線の鋭さかもしれない。決して実力的に不十分ではないはずの自分を押さえ付けられるほどの視線の鋭さ…。
 自分でもわけが分からないまま、シヴィラは彼の跡を追っていた。

 (こうしたものを冒険者根性とでも言うのだろうか、な──フン、私としたことが…)

 内心で、そんな呟きを繰り返しつつ。



 白銀の谷に着くまでには、およそ一週間の日夜を要した。
 谷の入り口についたのは夕暮れだったが、そこに残る足跡は容易に見て取れた。おそらく、あの狩猟者のものだろう。雪の積り具合から見ても、ここを通りすぎてからまだそれほど時間は経っていまい。
 腰に帯びたヴァルキューレを引き抜いて構え、シヴィラは足早に歩みを進めた。
 途中に魔物の姿は皆無だった。誰かが戦った形跡もない。
 疑っていたわけではないが、やはりドラゴンがいるのは事実なのだろう。そうでなければ、他の生物の気配も感じられる筈なのだから。
 以前来た時と、何ら道程に変わりはなかった。あの時着いた先で待っていたのはグリフォンだったが──
 らしくもなく何ヵ月前かの戦いに想いを馳せていると、不意に何ものかの咆哮が空を揺るがした。ドラゴンに間違いない。
 都合良く浮かんでいたいかだに飛び乗ると、シヴィラは勢い良く対岸を蹴った。川の流れに任せて進んで行けば、グリフォンと戦った高台まであと少しだった。
 二度目の咆哮。思うようにならない速度がもどかしい。
 そうこうしているうちに、いかだは空に投げ出された。不安定な足場をどうにか踏み台にし、彼は高台へと飛び移った。
 着地した瞬間に、三度咆哮が轟く。顔を上げると、すぐ目の前に純白のドラゴンがいた。そして、翠緑の髪の狩猟者の姿も。
 負傷したのか、彼は片膝をついたまま動かない。ドラゴンの身体には幾つもの矢が突きささり、そこから血を流してはいるのだが、大したダメージは与えていないように見える。
 狩猟者の手にあるヴァーチャーズアローが動かされる気配はない。チャンスをうかがっている…というわけではなさそうだ 皮肉げな笑みを浮かべて、シヴィラは地を蹴った。そうして目の前の獲物に気を取られているらしいドラゴンの足元に近付くと、不意に手にしたレイピアを一閃させる。
 青い血が迸り、竜が叫び声をあげた。

 「愚かものめ…その体は見かけ倒しか!」

 内臓深く突き刺した剣を、えぐるように払い、また突き立てる。完全に、ドラゴンの虚をついていた。

 「おい、貴様!」

 剣を抜いて飛びすさり、シヴィラは呆気に取られている狩猟者に声をかけた。

 「とどめをさすなら早くやれ!」
 「あ…ああ」

 有無を言わせぬその口調に押されるように、彼は矢を放つ。
 シヴィラの攻撃で完全に弱っていたドラゴンに、それを避けるすべはもはや残されていなかった。



 「…何故、来たんだ?」

 屍となったドラゴンの傍らで、狩猟者が最初に言った言葉がそれだった。

 「何故…私を追ってきた?」

 抑揚の無い声だった。ともすれば無気力とさえ受け取れる。 その問いに肩を竦め、シヴィラは軽く前髪をかきあげた。

 「さて、な。この私を睨み付けてくれた気に食わないヤツの実力を見てみたかったのかもしれん。」

 シヴィラの応えに、彼は苦笑を浮かべる。それに構わず、シヴィラは言葉を続けた。

 「私からも質問させてもらおう、一体何の為に何日も酒場にいたのだ。」
 「………間を───」
 「何?」

 聞き返したシヴィラに、彼はくすりと笑って片手を差し出した。何のつもりか分からず、シヴィラは一瞬茫然とする。

 「気の合う仲間を探すつもりだった。が、その必要もなさそうだ。」
 「…成程」

 相手の行動が何を意味しているか理解し、シヴィラもまた笑みを返して手を差し出した。

 「俺の名はラロシェル。…一緒にきてくれるのか?」
 「無論だ。私はシヴィラ。だが一先ずは──」

 そこで一旦言葉を切り、シヴィラは前髪をかきあげた。

 「宿に戻って眠るとするか!」




It's all over...




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