刀持論 其の壱


 刀。古来日本人の残した偉業だと思う。あんなに軽く、それでいて強く、でもって斬れ味の鋭いのは刀だけです。世界最強らしいよ、刃物の中では。まぁ勿論、使う人の腕にもよるし、鍛え手の腕にもよるけど。でも刀は良いね。良い刀は見てるだけで心が静まる気がする。私は刃紋とか見て刀工とかが分かるほど詳しくはないけど、それでも好きだ。
 刀ってのは人殺しの道具じゃない。刀工だってそれだけを考えて鍛えたわけじゃなかろう。時には純粋に美を求めて、時には自分の実力を試すために、また時には志を残すために。それぞれの心がこもっているからこそ、刀は鋭く、研ぎ澄まされて美しい。何て言うのかな、鉄に生命を与えるっていうか、そんなカンジ。

 私も祖父から譲り受けた一振りの刀を持っているが、居合いの練習用のものなのだ。と言っても、研いであるので結構切れる。しかし刀ってのは不思議なもので、本気で「斬ろう」と思わない限りあまり斬れ味はよくないものなんだな。自らの迷いがすごく反映される。太刀筋とか、刃の煌めきとかね。居合刀ってのは普通の刀より2・3寸ばかし長いそうだが、長い方が殺傷力が増すらしいな。勢いが増すからね。あぁ、私も刀をもっと巧く扱えるようになりたいものである。むぅ。

 まぁ、刀に美談ばかりあるわけじゃないが。例えば有名なのは「村正」だろう。村正ってのは刀工の名前だが、室町時代くらいの人ってコトくらいしか分からないらしい。ただ、その刀は切れ味が斬新で徳川家に不吉だと言われていたことから、災いをもたらすと言われていた、と。伝承では石田三成が軍師、島左近勝猛真田幸村が買い求めたという話だが、真実は定かではない。今はどっかに保存されている。ゼヒお目にかかりたいものである。以前写真を見た事があるが、写真だけ見てもその刀身からは妖しげな雰囲気が立ち上っていた。おそらく何人もの血を浴びてきたんだろうね。余談だが、「正宗」という刀も有名なものの一つだと思う。確か、今は国宝になってる筈。これは観世家(正宗の家)から徳川家康に献ぜられたものなんだってね。斬れ味の方はどうだか分からないけど、鎌倉時代の太刀姿だという。因みに、太刀と打刀では太刀の方が反りが大きい傾向があることを御存知だろうか。刀の差し方も違うんだよ。あと、鞘の造りも。

 時々、刀身に見事な彫刻が施されているものがある。最初は重さを減らすためだったらしいが、やがて美しさを求めるようになったとのこと。戦国の世が終わってからだね。刀が人を斬るためじゃなく、芸術として認識されるようになったのもこのころかな。我が家にも昔、康継だかの名刀があったらしいが、今はないという。何て惜しいことを!

 とにかく、本当に良い刀は素人目にも分かるのである。光ってれば良いってものじゃない、剣光の鋭さ。刀は完成された美だ。人と自然の調和。だから古代日本人の偉業と言う。「念い」の結晶っていうのかな…。だからこそ今までもこうして伝えられてきたんだろうし、これからもきっとそうなんだろうと思う。
 私が刀を好きなのは、ただの趣味じゃない。そこに込められた念の重さ、命の重さを感じられるから。きっと失われた名刀とかもたくさんあるんだろうなぁ。一度で良いから、現存する名刀を手に取ってみたい。そして居合の技を揮ってみたい。きっと叶わない望みなんだろうなぁ…。あー、無念じゃ。

 取りあえず私の持っている刀。もとは祖父のものだが、今は間違いなく「私の愛刀」と断言できる。普段は和室の片隅にあって、あまり目をやることもないけどね。実際刀身を抜き払い手入れをする時、心は刃の輝きに反映し、身体は刀を持つ手に反映されるようで、冷静になって自分を見つめることが出来るんだと思う。大ゲサなようだけど、刀と一体になっているような気がする。

 戦国、江戸時代、「刀は武士の魂だ」と言った人は多かったが、本当その通りだと思うなぁ。私の刀はそこまで有名な刀工が鍛えたものじゃないし、斬れ味だってそんなに良くないけど、やっぱり二度と同じ刀は手に入らないわけだからねぇ。刀工が心をこめたものだろうし、殊更大切にしたい。私の刀に対する心情が戦国・江戸の世の武人たちと同じとは思ってないけどさ。

 刀について語ったので、剣技についても少し。真剣白羽取りのこと。みんな誤解してるけど、あれは実際に出来ません!!(力説)「刀がなくなっても戦います」という、戦いに望む時の譬えだったらしい。だから頼む、誤解せんでくれ!(涙)実際やろうとせんでくれー!!
 うう。まぁ、いいけどさ。格闘ゲームの中では結構あるらしいし。でもアレ、取り損なったら一撃死だよな。アホめが…。