Abyss #0


4.

『あいたいあいたい あなたに、あいたい。
 それだけがかなわないのは ねえ、どうして…?』



 かくして時は巡り、巡れる。
 あるまじき存在を受け入れるほど、彼の地の理は穏やかなものではなかった。
 非情なる時の流れと共に彼の生命は薄れゆき、その存在を為す色までをも奪い取る。
 天を見つめ続ける眼窩から流れた涙は皮肉にも大地を潤す泉を為したが、佇んだまま動かぬその足下にはやがて草花が根を張ることとなった。

 此は奈落。
 模造された偽りの生命のみただ棲む…それゆえに。

 在るべきものは失われ、あり得ぬものこそ赦される。
 幾たび昼日が巡り過ぎても、どれほど月日が巡り去っても
 停滞の時は動かず変わらぬ。

 在るべき彼は少年アドニス、然しその名は過去のもの。
 動かぬ時に捕らわれ留まり、取り残されて凍り付く。

 あり得ぬものは少年アドニス、いつしかその名も仮初めに。
 朽ち果て尽きた器は失せて、その意志のみが結晶化する。

 陽光受けて煌めく瞳に、月光受けて輝く身体。
 見よや、その名を残せしままに
 色さえ失くすは命の器。

 光を透過し、風を反射し。
 涙と共に流れて積もるは、等しく尽きせぬ美神の思い出。

『我が主、我が君、天上の方。
 お忘れですか、このアドニスを。永久にと誓った、貴方の愛を!』

 悲痛な叫びは届かず消えて、哀しく尾を引く至天の星。
 幾度も墜ちゆく陽を見送りて、佇む少年虚像と代わる。

 流れし涙は泉を成して。
 柔けき身体は水晶と成り。
 内なる情愛、導くままに 透き通りたる像と成る。

 偽り満ちたる彼の地に於いて
 唯一残るはアドニスの願。

 嘘か真か知らずまま
 唯一残れる彼の地の虚像。

 静かに、密かに、涙を流す。


 彼の地は奈落。
 彼の地は終焉。
 寵愛ゆえに愛ゆえに、置き去りにされた少年の。
 忘れられた最後の楽園。

 忘れ去られた 最後の楽園。



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